映画評「ケイコ目を澄ませて」
「キネマ旬報作品賞、主演女優賞を取った話題作について」
清々しい映画だった。日本映画で世界と互角に渡り合える映画に出会えた。
聴覚障害を抱ながらプロボクサーになった、小笠原恵子の「負けないで」(創出版)をもとにした、三宅唱監督「ケイコ目を澄ませて」は、掛け値なしの傑作だった。
生まれつきの感音性難聴のため両耳が聴こえないケイコ(岸井ゆきの)。彼女は、デビュー戦をKO勝利で飾ったプロボクサー。
東京の下町のボクシングジムというより、拳闘ジムと呼ぶにふさわしい古いジムに所属している。黙々とスパーリングをこなし、ストイックにコンビネーションをこなす。
まず、岸井ゆきのの引き締まった肉体と俊敏な動きに目を見張った。フィクションを眺めているというより、ドキュメンタリーを観ている感覚に近い。ジムのマネージャー役の三浦誠己やトレーナーの松浦慎一郎も役者とはわかっていても、ホンモノにしか見えない。
そのジムにはややくたびれた会長(三浦正和)がケイコを見守っている。トレーナーも会長も手話ができるわけではないが、アイコンタクトと筆談でコミュニケーションを取っている。そんなケイコは弟(佐藤緋美)と暮らしていて、昼間はシティホテルで客室清掃員として働いている。コロナ真っ只中にあって、皆がマスクをしているため、彼女は口の動きを読むことができず、日常の些細なやり取りもうまくいかない。
閉塞感あふれる毎日が丁寧に描かれる中、ケイコは第二戦を迎える。
母親(中島ひろ子)や弟が見守る中、勝つには勝ったが、パンチを受け続け、紙一重の判定勝ちだった。その翌日、記者から取材を受けた会長はこう答える。
「ケイコは才能はないかなあ」、「人間としての器量があるんですよ。素直で素直で」。
「人としての器量がある」という言葉は久しく聞いたことがない。そう、この映画はケイコの「器量」を観る映画なのだ。ダメージが残ったケイコを見つめる会長がどこまでも優しい。下町の拳闘ジムの会長とボクサーは、どこか、「あしたのジョー」の丹下段平と矢吹丈を彷彿とさせる。やがて、再開発の立ち退きと会長の健康状態からジムは閉鎖を余儀なくされる。覇気のないケイコと宙ぶらりんに置かれたジム。
ケイコを快く受け入れてくれるジムも見つかったが、彼女は移籍話を断ってしまう。
そんな最中に会長は脳梗塞で倒れてしまう。
そして、迎えた第三戦。結末は言えないが、16ミリフィルムを駆使した質感。音楽を排して自然音しか聴こえないサントラ。光と影がきちんと描かれたフィルム。すべてが極上の映画だった。
どこかでまだまだ上映しているはずだ。なんとしても観てほしい作品である。
2023/11/24