「美術館の効用について 大竹新朗展をめぐって」

「今、話題の現代芸術の雄、大竹新朗展を見に行って思った二三の事柄について」

皆さんは美術館には行かれるだろうか。

筆者は残念ながら、なかなか行く習慣がなかった。映画でも芝居でも、あるいは美術館でも、これはもう習慣なので、行く癖がつかないとなかなか出かけられない。

しかし、竹橋にある東京国立近代美術館で開催されている、「大竹伸朗展」は、今どうしても見ておかねばならないと思い足を運んだ。

案の定、若い人が多く、会場は熱気に包まれていた。美術館というより、アトラクションを体験する感じに近い。

まず、美術館の入り口に「宇和島駅」のサインが大きく飾られていた。美術館全体をオブジェにしようという壮大な仕掛けが施されている。

テーマごとに、「自/他」「記憶」「時間」「移行」「夢/網膜」「層」「音」と別れている。

おびただしい、スクラップブックと作品の圧倒的な熱量とパワーにたじたじとなる。

例えば、《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》(2012)は、「スナックモンシェリー」の白い看板が鮮烈だ。小さな小屋が丸ごと置かれている。小屋の中には、ギターが見えるが、ギターの背景には、巨大なスクラップブックがびっしりぎちぎちに詰め込まれている。コラージュはとにかく、ひたすら描いては貼っていく。貼って貼って地層のような厚みができて、作品の生命力が生まれる。

「断捨離の時代」と言われて久しいが、大竹伸朗作品は、断捨離と真逆だ。徹底的にモノにこだわり、ひたすら蒐集して作品として蘇らせる。

このオリジナリティが唯一無二の世界を生んだ。海外での評価も高く、かつまた国内の人気も高い。要は、売れるアーチストなのだ。

若いころ、美大を中退して北海道の牧場で働き、荒れた生活を変えるために、単身、徒手空拳でロンドンに渡る。そのフットワークとほとばしる熱情が多くのファンを魅了する。

筆者は二時間ほど、歩いて回って、がっくり疲れてしまい、空腹になってしまった。

完全に大竹伸朗パワーに打ちのめされた。

そうか、鑑賞するために美術館に行くのではない。作品と格闘して圧倒されるために出かけるのも面白いと思った次第だ。

2月5日で、「大竹伸朗展」は終わってしまうが、またどこかで、開催されるだろう。

美術館巡りもスリリングであると教えてくれた。

普段、行かない、美術館に足を運んでみることをぜひ、お勧めしたい。

2023/11/24